昭和56年3月14日 朝の御理解 御理解 第79節 「商売をするなら買場売場と云うて元を仕込む所と売先とを大事にせよ、人が口銭を拾銭かけるものなら八銭かけよ、目先は弐銭損のやうでも安うすれば数が売れるから、矢張りその方が得ぢゃ、身体はちびるものではないから働くがよい。」
いつも申しますように教祖様は、うそを教えてはおられない、そのままにすなおに頂けば、そのままのおかげが受けられると、例えば神様のおかげを分からしてもらい、そのおかげに対する神恩報謝の生活ね、おかげを先ず知らなきぁならん。神のおかげを知らぬから互い違いになると仰せられる。神のおかげを知る。なら知っただけぢゃいかん。それに対する神恩報謝の心が必要である。いうならばそうした神恩報謝の奉仕の日々でなければならない。我の為に働くのではないね。まあそれをお道では神様の御用というふうに申します。
神様の御用にお使いまわしを頂ける。それは神恩を知り神恩に報い奉るそれが姿に現われるのが、お商売をする人ならお商売の上に現われ、お百姓の上に現われてこなければならない。いわゆる教祖の御教えがその持場立場の所で、いうなら生活の現場でそれが現われてこなければならない。それが神恩報謝なんです。その神恩報謝の生活をするから、神のおかげを知らぬから互い違ひになるようなこと、違ひにになると仰せられずに、互い違ひにもならず、しかも日勝り月勝り年勝りのおかげを、受ける事が出来るぞと仰せられてある。
だからお道の信心する者が困った時にお願をして、こういうおかげを頂いたというだけではなくてです。教祖様の御教えを一家で行じさせて頂けるようになり、金光教的生き方・物の見方・考え方が一家中で出けるようになれば、一家がこのように日勝り月勝り年勝りにおかげが受けていけれるという実証をね、表わしていかにぁならん実験実証なんです。それを合楽理念によるとそれ教祖様が御教えを、あらゆる角度から誰でも行じられるように、しかも楽しゅう有難う行じていけれる手立てが説いてあるのですから、もうそれに本気で取り組まなければ駄目なんです。
その取り組み方が本当なものになっていけばいく程、成る程教祖様はうそはおっしゃっては居られないなぁと、成る程日勝り月勝り年勝り代勝りのおかげが受けられる。信心だ・道だというそういう道をです、世界中に広げていかねばいけんのです。私はこの今日の御理解の所、この御理解は一ばんこの御理解としては、説明のしよのないような感じがするんですけれどもね、いつも兎に角よく頂きますです。ね、商売をするなら売場買場というて、と、いったようなその御理解なんです。
だから商売どうぞ、今日も大繁昌のおかげ頂きますようにと云うて願うても、例えば教祖様の商売人に対する心がけといったようなものを、教えておられるのですから、それを本当に身をもって行じていくという事。ただお願をしておくり合はせを頂いて、おかげで安う仕入れる事が出けました。
沢山の売り上げが出けましたというようなおかげだけでは、いわゆる日勝り月勝り年勝りという事にはならんのです。お願いをしておかげを頂いたというだけぢゃなくて、先ずは神のおかげを知りその神のおかげを知っただけぢぁない。それに対する神恩報謝の信心生活、あなたの御用を今日もあなたの御用にお使いまわしを下さい、どうぞ間違いませんように、狂いませんようにと教祖の御教えを元にしての、例えばお商売が出ける所に一分一厘間違ひのない神様のその働きというものが、商売の上に表わしていく事が出来る。これは商売だけの事ではありません、教えを元にして一家一門がだんだん繁昌発展していく所のおかげです。
だからそういうおかげが受けられるという実証をね、いよいよ身につけた時がほんとうの金光様の御信者という事になるのぢぁないでしょうか。兎に角お願いに行ってんなさい、おかげ頂くけんというような所から、例えば病気が治りました。
取れない収金がよりましたと云ったようなその短編的なね、端的な信心からねいつもずっと自分の信心とそのお商売ならお商売、各々頂いとるその繁昌というものが連なって続いていかなきゃいけん。そういうおかげの頂けれる教え、信心に縁を頂いているのですから。皆さんが本気でそれに取り組むという姿勢をつくらなきゃいけんです。
昨日は十三日会でございましたから、沢山な人が集まってね、例えば十三日会でもそうですよね。もうそれこそ日勝り月勝り年勝り代勝りに、この調子でいけばおかげを頂いていくだろう、沢山な人が集まって信心の研修を致します。神様の願いの成就する日と。その神様の願いが成就する事の為にも、いうなら神様教えを本気で頂かなければ、神様がいかに。いかにじだんだ踏みなさった所で、人間にかかわっておいでられなければ、神様の働きを表わしなさる事が出けんのです。人間が知らん顔しとったんでは。そこん所を神様は氏子あっての神、神あっての氏子とおっしゃるのです。氏子あっての神なんだから、その氏子自身がその自覚が出来て御教えに基づく生き方をさせて頂く時に、神様の願いが成就していく。
だから十三日会というのはいよいよもって神様のいうなら教えを本気で、行ずる事のまあいうならば、見本のような一日なんです。
昨日はこの前もそうでしたけれども、昨日も十三日の金曜日でした。世界ではもう大悪日と云われるのがもう十三日の金曜日だそうですね。キリスト教がいやキリストが処刑にあわれた日が、十三日の金曜日だったというわけですよね。その大悪日を合楽では神願成就の日として大切にします。
だからせめて十三日会の十三日の日だけぐらいは、神様のお心に適うた、ただ十三日の日にお参りしさえすりぁよかと云うのじぁなくてです。それこそ、その日を、それこそ一家中をいうな挙げて今日は、合楽へ合楽へと合楽に通わせて頂いて午前中をね。
そして御礼、ここでは十三日の日は皆さんが特別の御献費をなさいます。御礼十三日会というまあおそなえを、もうこの十三日会のお供え位、私は何んと云うですかね、天地に還元するというならば、こんなにすばらしい天地に還元はないと思うです。なぜって神様の願いが成就する日にお供えするんですから。しかしこれは特別のお供えですから、神様の願いが成就する事の為に、いうならお供えをするのですから。十三日の日一日位はです、いうなら我情我欲を捨ててそうした奉仕を午前中させて頂いて、午後からは信心の共励に入るといったようなね、ただ共励会に行きさえすりぁよいといったような人があります。御礼十三日会のお初の内容の意味も知らない人があります。
十三日会が始まった時にその時月参りをしておった、御本部への月参り或る事情で出来なくなった。本当に血の涙の出るような思いで、まあ御本部参拝を止めさせて頂いた月参りを、そこで皆さんが相寄り集まってならその時分の、御本部参拝の費用をそのままお供えして、神様の何か御用に使うて頂こうじぁないかという話し合いが出けた。
そして十三日会の日にいうならお初穂お供えを、まあ持ち寄ってはじめて椛目に預金というものが出来るようになった。
そしてそれがならお土地をここで購入する時やら、御建設やらの役に立ったんです。そういういうなら意味あいで御礼十三日のお初穂というのはさしてもらうのです。
だから十三日会に来たっちゃ、ただお話聞きにくるとならば、十三日会の精神というものは分かっておらんという事になるです。せめて十三日位は神様の御心に適う。いうなら我情を捨てて我欲捨てて御用もさしてもらおう、いうならば天地への還元である所のお供えも、本気でさしてもらおうという事に、いわばそれを実行しなければ駄目です。
昨日信徒会長が発表しとりましたが、いよいよ明日に迫りました信徒会のこんなにすばらしい信徒大会の、私はまあだ読んでもらってもいませんけども、大変いろいろすばらしい事が書いてあるというて、云うておりましたがその中にね、合楽がここにまいりましてからのお初穂の、お初穂が年々このような状態で上がって、皆さんもこれを頂かれた方達は見てごらんなさい、ここに出ておりますように、ここから始まって一年一年こんなに高うなってきておる。ずうっとこうやって上がっていっとるです。ね、日勝り月勝り年勝りでしょうが、だから金光大神の教えを本気で行じたら、こういうおかげが受けられるという手本を見せて教えるといった所は、私は合楽だけしかないと思うです。
なら親先生が云うならば売場買場を大切にされておる。いかに大切にしておられるかと、それを実行しとられるか、神様を大切にする、又はなら御信者を大切にする。これが私の売場買場かもしれません。それは例えば信者が助かる事の為ならば、どげな修行もいといません、けれどもそこは生身をもっておりますから、まあそんならどんなという事も出来ませんけれども、私なりに一っぱしのならおかげを頂いていよいよこれこそ、一分一厘間違いのない、いうならば、朝の三時に目覚ましのおかげを頂いてなら、三時半にはこちらへ出てまいります。してそれから御祈念に入ります。
そして今日こうして毎日御用が、それこそ降っても照ってもこれが続けられる、私は神様を大切にする事であると同時に、信者を大切にする事だと思うですね。これに狂いがあってはならない。と私はそこん所に教祖の御教えをそのままに実験しておりますから、このような実証が生まれてくる。私も昨日これを見てびっくりしました。
こういう事が発表される、私は全然知らなかったんです。これを頼みに行く所が福岡の総代さんなんです。ここの御本を作って下さる家は、それで秋永さんこういう事まで信者に発表してよいですから、こりぁいなさらんがいいですよち云うて、注意して下さったち、いいやいいです合楽はそれこそ硝子張りでいくのですから、親先生にこりぁお許し頂いとるとですから、いいやお許しは頂いとりませんけれども、出け上がってから親先生にお願いします。と云うたというんです。それが出けるのが合楽なんです。
だから成る程親先生が云われるとおりに日勝り月勝り年勝りのおかげを頂くという事は、いうならば今日の御理解でいうならば、商売人が売場買場を大切にせうという、売場買場を本気で大切にし、ひとが拾銭で売る物ならば八銭で売るという、実行をしておるからです。まあここに二軒の野菜屋さんがあるとします、一軒は毎日毎日市場から仕入れてきた水々しいごたるお野菜をしかも拾銭のものを八銭で売りよる。隣のはもう何日前かに仕入れたごたる、しわがれたごたる野菜を、しかも拾銭で売らにぁんとば十一銭で売りよる、これで繁昌するはずがないです。それを私共がね商売だけのこっぢぁない、実際の上にもそれをね実験させてもらう実証させてもらうから、こうした実証が生まれてくる。これはうそでもいんちきでもないです。そのとおりの事がこれに表われてきておるです。これを見て図に書いたらこんなもんだろう、まあすばらしい、こりぁこれがずっとなってくるなら、成る程世界に和賀心を世界に十三日会をという事もです、いうなら年々再々こういうおかげを頂いていけば、神様の願いが世界中に広がっていくという事も、まんざら夢ではないというふうに、確信が出来てくるでしょうが。
そしていうなら金光様、教祖金光大神の御教えがうそではないという事を、分からしてもらうからいよいよその行ずる。忠実にそれを守らして頂く事に、精進させて頂くから、生まれてくるのが確信です。必ずおかげになるという。しかもこれがいうならば、繁昌という意味でならば日勝り月勝り年勝りに、この年だけはすとっと落ちとる事は絶対ない。そりぁずいぶん景気の時もありぁ不景気の時もあったです時代には、けれどもただ不景気もなからなきぁ景気もない。こちらの信心次第によってそれこそ一年勝り一年、日勝り月勝りに一年勝りにおかげを受けおる。私が云ひよる事が嘘ぢゃないと、まあ思うて下さいよ皆さん。教祖様が嘘をおっしゃっておらないように、それを本気で行じさせて頂いて、私がかくおかげを受けておるという事実を皆さんが、見たり聞いたりして下さって皆さんの家庭でも、やはりそういうおかげを頂いて表わしていって頂きたいというふうに思ひます。 どうぞ